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官僚から社会人博士への道 vol.8 ~行政官と研究者、両方やってみて分かったこと~

この記事は官僚である筆者が自主休職して社会人博士を目指す様子をお届けする雑記帳である。

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僕が中央省庁を休職して研究者に転身してから4か月が経つ。その中で見えてきた発見を今日は記事にしたい。

 

 

官僚として働いてきた人間が博士学生となったときに恐らく全員が感じるであろう違いの1つはスピード感ではないかと思う。

 

筆者が所属していた某省庁においては一日に100~200通以上のメールを受け取り、絶えず情報の洪水に翻弄される日々であった。

 

人にもよるが、入省から数年も経てば複数の案件を抱えているのが常であり、1年を通じたプロジェクトの進行管理や、数か月スパンで検討される来年度予算の詰め、数日単位での細々とした作業発注などを同時に処理していく。

 

このような環境に身を置いていると、何がしかの案件が毎日のように始まり、そして終わっていく。つまり、役所時代には小さいながらも乗り越えるべき山が毎日あり、多かれ少なかれ達成感を感じる機会が日常的にあったということだ。

 

こうした環境下では脳の報酬系は常に刺激されている状態と言える。何かを成し遂げたという快感を得る頻度が高いと言い換えてもいいだろう。

 

翻って、博士課程の生活はどうだろうか。

 

博士課程では3年ないし4年で1つの博論を完成させる人がほとんどだと思う。博論は複数のチャプターに分かれているが、多くても5~6のサブプロジェクトで構成する人が多い。つまり、1年に多くても2つのプロジェクトをじっくり時間をかけて進めていくというのが博士課程の作業スタイルだと言える。

 

このような環境では、行政官であった時に感じていたような日常的な達成感というのはほとんど無い。数か月に1回あるかないかくらいの頻度で論文が査読に通ったり、中間審査を乗り越えたりといった大きい山がある。そのほかは、地道に実験を進めたり、現場に出てデータを集めたり、論文を読んだり、指導教官との議論を繰り返したりするばかりだ。これらはいずれも3年間続く長いプロセスの一部であるため、行政官が案件の区切れごとに日々感じるような達成感とは本質的に異なる。

 

博士課程はマラソンに例えられることも多いが、行政官の日常はいわば短距離ハードルのようなものだろう。

 

ここで言いたいのはどちらが良い、悪いという話ではなく、両者にはスピード感に違いがあるということ、そして長距離を走りぬくにはそれなりの根気とモチベーションが不可欠だということである。

 

 

さらにもう1点、博士課程で成し遂げられる学術的な成功は必ずしも行政課題の解決に役立つとは限らないという点にも留意すべきである。

 

必ずしも役人出身の研究者が行政に近い分野を専攻しているとは限らないが、行政課題と無関係の研究を志す人も少数ではないかと思う。

 

そんな役人出身の研究者が仮に、自分の抱えている行政課題に対して、博士課程の研究で何らかの輝かしい発見(成功)をし、それによって社会に大きなインパクトを与えることを既定路線のように考えているのであれば、その期待は裏切られることがほとんどだろう。なぜなら、学術界と行政の隔たりは思っている以上に大きいからだ

 

そもそも学術的な成功とは何で定義されるかといえば、理系分野であれば例えばインパクトファクターと呼ばれる指標が高い学術誌に論文を発表し、その論文が他の多くの研究者に引用されることである。経済分野であれば五大誌といわれる一流紙に載ることだろうか。

 

しかし、行政官がそのような”成功した”論文を日常的に読み、政策決定に利用しているかと言えばそんなことは全くない。そのような論文の内容が行政官の手に渡るのは、国連機関などがまとめた政策決定者向けの報告書に加工された時が多い。当然、報告書がまとめられるまでには長いタイムラグがあるし、加工された報告書ですら読まれない可能性は大いにある。

 

この状況を良しとするつもりもないが、行政官が日々読まなければならない情報は母国語のものですら膨大にあり、そこに英語の学術情報が入り込むにはハードルが高い。結果、個々の行政官の感度と文献を読み解く英語力、基礎知識に左右されてしまうのが現状だ。

 

研究デザインを工夫することで政策的なインパクトを確保することはある程度可能ではある。例えば、研究の初期段階から行政と連携して実施するといったことはできるだろう。

 

しかし、行政が求める需要と研究者側の供給がタイムリーに一致し、博士課程の3年間に結果まで出せるかと言えばそれほど簡単な話ではない。少なくとも学生本人の能力の問題だけでなく、指導教官も含めたコネクションや時の運といった要素が複合した次元の話になるだろう。

 

 

このような行政官と研究者の違いは、各自の性格や目標によってメリットにもなればデメリットにもなりうる。

僕個人としても、博士課程を卒業する段階で自分が行政官と研究者のどちらがより向いていると感じているのか、今から楽しみにしている。

 

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