筆者はケニアのスラム街が抱える様々な問題を研究テーマにしている。
これまでにも、スラムの衝撃的な衛生環境であったり、極貧の暮らし、身近な犯罪やギャングのこと、ドラッグのことなど、日本ではまあ遭遇することのない光景や話は山ほど見聞きしてきた。しかし、これらはある意味でスラムのイメージそのまんまだったせいか、不思議とカルチャーショックのようなものは感じてこなかった。
だが、どうも最近、心にトゲのようなものが刺さっているのに気づき、もしかするとこれがケニアに来て初のカルチャーショックではないかと思い至った。
そのトゲの正体というのは、端的に言えば「お金」に対するケニア人たちのシビアな見方であり、その「お金」というフィルターを通して彼らの目に映った僕の姿であった。
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本題に入る前にスラムの人たちの暮らしぶりについて少し述べておく。
ケニアの首都であるナイロビでは数百万人がスラムで暮らしており、人口の6割に上るとも言われる。守衛や運転手などの正規職に就くスラム住人もいるが、定職につけない、いわゆるその日暮らしの人も大勢おり、平均的には一人当たり一日1ドル~数ドルの収入で暮らしている。
ちなみに、ケニアの公務員の大卒初任給的なやつはと言うと、ランクによるが月に38,000円ほど。日収にすると1,900円となる。
Job groups in Kenya, salaries, and allowances according to SRC 2024 - Tuko.co.ke
僕の研究に参加してくれている研究助手の人たちもスラムまたはその周縁部での生まれ育ちである。日給は労働内容にもよるが数時間の仕事で2,000円~3,000円を支給している。上に書いた平均的な日収と比べても悪くない待遇と言える。
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僕が感じた最初のもやもやはそんな研究助手たちとの会話から始まった。
ある日彼らと雑談をしていて、今年は洪水がひどいという話になった。スラムの住民も生活が大変になっているというような話になり、唐突に
「僕たちには●●(筆者)のようなprivileged(特権階級) な人たちからの支援がもっと必要なんだ。期待してるよ。」
という話に飛んだ。半分本気、半分冗談なトーンだったので僕は曖昧に笑ってごまかしたが、内心ドキッとした。
今まで彼らとはフランクに物を言い合う友人、あるいは研究仲間というような関係でいたつもりだった。率直に言って不快だったが、この時は何がそこまで僕の琴線に触れたのかはっきり分からなかった。
他にもこんなことがあった。
研究でスラムの住人に手洗いについてのアンケートを実施した際、参加してくれた人への御礼として石鹸を配ることにしていた。その石鹸を渡した際、住民から
「お金の方がいい」
という反応が返ってくることがあり、まあそこまでは予想の範疇ではあった。ただ、研究助手たちがその不満への回答として
「今回は無理だけど、次回はきっとこの日本人がお金を持ってきてくれるだろうから…」
という諭し方をしていたのを聞いたとき、以前に感じた違和感の正体に気づいてしまった。
要するに、研究助手の彼らにとって、日本という先進国から来た僕は友人ではなく、労働と給料によって結びつく対等なビジネスパートナーでもなく、「支援すべき側」と「される側」という非対等な存在であったのである。彼らからしてみれば、裕福な日本から来た僕は「自分たちに施しをしてくれて当然の存在」なのだ。
誰かから一方的に何かをしてもらう関係性というのは僕の中での友人関係の定義からは外れており、それはつまり友達と思っていた彼らから金づると思われていたことを意味している。これが大変ショックであり、不快だったのだ。
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公平を期して言うと、ケニア人が皆そういう目で僕を見ているわけではないと思う。大卒や院卒の研究者仲間、すなわちケニアの中のお金持ち層の人々からはそういった「施し」の関係性の気配を感じたことは一度もない。
では、スラムの貧困がそうさせるのか。
そうかもしれないが、分からない。もしかしたら支援されるのが当然と考えるくらいひどい目にあってきた経験があるのかもしれないが、僕は彼らの生い立ちをよく知らない。
少なくとも言えることは、彼らにとって僕は今「支援をしに来た人」であること。そして、僕はそんな彼らとの関係性をこれから時間をかけて対等な友人同士にしていきたいということである。