おーい、えび。

えびのたわごと

嗚呼、学閥人事ーこの唾棄すべきもの

筆者は中央省庁で働き、現在は霞が関から離れている者である。

 

最近、ある省庁に勤めていたことがあるという方々と夕食を共にする機会があった。

 

その中の一人曰く、彼の勤めていた某省では特定の分野の幹部ポストを長年ある有名私大の出身者が占めているのだという。いわゆる学閥というやつである。

 

僕は彼にこう質問した。

 

「学閥で幹部を決めると何か良いことがあるんですか?」

 

彼は答えて曰く、

「昔からその幹部ポストは●●大の派閥が占めることが決まっていて、過去何代もずっとそうやってきたのさ。」と。

 

話がかみ合わないなと思ったが、ほぼ初対面の方にそれ以上突っ込むのも失礼かと思い、深く聞くのはやめにした*1。皆さん、そのポストが長年学閥で占められていることが何やらカッコいい、名誉なことのような話しぶりであった。

 

その方たちの会話をその後も黙って聞いていた。興味深かったのは、彼らが知人の話を切り出すときに決まって、

「彼は●●大なんですけどね(海外の有名大学)、先月こんな問題を起こして……」

だとか

「その人は●●大出身なのに(あまり有名ではない大学)、こんな出世していて……」

という枕詞をつけることだった。

 

正直に言えば、僕はこの辺まで聞いて、クソほどつまらないテーブルに座ってしまったなと後悔していた。デザートのスイカの種をほじるのに夢中なふりをして聞き流し、早々に退散した。

 

別に同じ大学出身者たちが仲良くしあう、同郷意識を持つ、といったことは結構なことだし好きにすればいいと思う。高い学歴を持っているのも努力の結果で立派なことだし、誇りに思うのも個人の自由だ。

 

ただし、それが人間の評価基準にまで及び始めると話は変わってくる。

 

社会人をやっていれば、仕事ができる人、人格が立派な人、筋を通せる人などと学歴には相関がないことは嫌でも分かる。にも関わらず、いい年したオッサンたち(誰も明言はしなかったが、いずれも有名大卒らしい)が学歴=人格の基礎点であるかのように話しているのは聞くに堪えなかった。

 

まして、省庁の幹部ポストが学閥で決まるなど愚の骨頂である。能力のある学閥外の人材が流出するのを助長するだけだ。彼らの言っていた学閥というのも、たまたまその大学出身の優秀な人間が特定の部門に多くいただけだと信じたい。

 

ちなみに僕のいた某省にはそのような唾棄すべき学閥人事は少なくとも僕の知る限りはない。ただでさえ非人道的な忙しさなのに、そんな胸糞悪い人事制度までついてくるのならとっくに辞めているところだ。

 

ほじり倒されたスイカは気の毒だったが、甘くてとても美味かった。

*1:一発目の質問も既に失礼なのは承知の上である