おーい、えび。

えびのたわごと

【再投稿】役所から始める在野研究のご紹介

筆者は官僚を休職して社会人学生をしている。

 

今日のテーマは、在野研究のご紹介ということで、大学や研究機関に属さずに研究するという酔狂な趣味のありかたをご紹介したい。*1

 

目次

 

1.在野研究を始めたきっかけ

筆者が中央省庁で働きながら初めて論文を書いたのは入省5年目の頃だった。

 

当時はようやく霞が関の仕事に慣れてきて、土日を余暇に費やせるくらいには余裕のある生活を送ることができていた。しかし、それまでが忙殺の日々だった反動で、趣味という趣味もなく、退屈な休日を過ごすばかりであった。

 

そんなある日、先輩が論文を書いているという話を聞いて興味を持った。なぜそんなことをしているのか聞いてみると、先輩曰く、

 

「行政のお仕事はチームワークが基本だから、どんなに自分が良い仕事をして貢献したとしても自分の名前が残ることはない。その点、論文は一生名前が残るのが良い。」とのこと。

 

続けて曰く、「エビデンスに基づく政策決定(Evidence-based Policy Making: EBPM)が叫ばれて久しいけれども、そう都合よく大学や研究所が行政ニーズにあった知見を届けてくれるとは限らない。エビデンスがないなら自分で作ってもいいじゃないか。」と。

 

単純な筆者はなるほど面白そうな趣味だな、と思うと同時に、ひょっとしたら自分*2にもできるんじゃなかろうかと考えたのだった。

 

2.実際にやってみた

家に帰ってさっそく研究テーマを考えるところから始めてみた。

 

ここで早くも行政に携わっていることのメリットに気づいた。それは、研究のネタになるような行政課題は身の回りにごろごろ転がっていたのだ。

 

筆者は当時、ある交渉を担当していたのだが、交渉のテーブルで必ず問題になる争点があった。しかし、その争点については主張の根拠となるデータがないため、自分も相手もただの言いっぱなしになるばかりで、いつも時間を浪費していた。

 

この根拠を客観的に提示することができれば、行政上も意義があると考えた。

 

幸い、必要になりそうなデータもネット上で公表されているため、それらを加工・統合する二次分析というやり方で結果が出せそうであった。

 

研究テーマが決まったらあとは方法論を固め、実際に分析をしていくばかりである。この段階で、仕事上でお付き合いのある有識者たちに方法論の不備がないか見てもらったところ、彼らも興味を示してくれたので、チームを組んで論文を書いていった。

 

論文が国際誌に出版されたのは動き出してから約9か月後のことであった。

 

 

3.初めての方への注意点

上に書いたように、初めての論文執筆は驚くほどトントン拍子に物事が進んだ。

 

しかし、そこにはたくさんの幸運があったことも記載しておくべきだろう。

 

まず、在野研究でハードルになることの第1位がデータ集めである。

 

僕の場合、運よくオープンデータを統合して分析すれば答えが出る設問だったが、多くの場合は1次データを自分で集めなければ研究疑問に答えられない。そのため、研究疑問の設定とそれに必要なデータ集めの大変さは常にセットで考える必要がある。

 

過去の論文もオープンアクセスが増えてはいるものの、データベースに自由にアクセスできないと不便なこともまた事実だ。そんなときは自分の出身大学の図書館を利用できる場合もある。また、データベースにアクセスできる人、例えば大学に所属している人などと組んで作業することも一案だ。

 

第二に注意すべき点は勤務先との関係である。

 

もし論文を執筆するなら、自分の名前と所属先は必ず書かなければならない。大学に客員ポストの肩書を持っているとかでない限り、自分の所属先の省庁を記載することになる。

 

そのため、論文の中で「組織を代表する意見ではない」旨の但し書きを記載する必要がある。また、仮にその但し書きをしたとしても、役所や我が国に不利になる内容である場合は勤め先から「待った」がかかる恐れもある。

 

筆者の場合は勤め先の管理職に原稿の段階で見せて許可を取り、その後ジャーナルに投稿するという段階を踏んでいる。役所の肩書を付けないでくれと言われれば、その場合はindependent researcherとかprivate consultantとかを名乗ることもあるだろう。

 

第三に投稿費の問題がある。

 

助成金を申請するなども考えられるが、在野研究は基本的には私費で活動するしかない。そして、昨今オープンアクセスのジャーナルは投稿料が少なくとも数万、多くは数十万円という世界だから、お財布に厳しいことこの上ない。

 

率直に言って、このお金の部分は割り切りが必要だ。論文の投稿といえば、よっぽど優秀でない限り1年に1回出せれば御の字といった頻度だから、数万なら贅沢な趣味だと思ってすっぱり支出する考え方もあるだろう。

 

学会誌への投稿であれば、その学会の会員は無料になることが多い。共著者に学会員を巻き込んで一緒に論文を作るという方法も節約になる。

 

予算を持っている本職の研究者に声をかけて運よく共著に入ってくれれば、その人が投稿費を負担してくれることもあるかもしれない。ただ、この方法は予算目当てだと思われてしまったら信頼を失うし、予算に余裕のない研究者もたくさんいる。

 

結局、その投稿費を払ってでもジャーナルに公表したいと思えるメリットがあるかどうかが大きいだろう。今のご時世、プレプリントサーバーや自分のブログだって世の中に出す手段にはなる。

 

 

4.最後に

大学などに属さず研究を行うにはそれなりのハードルもある。

 

論文を書いたところで給料が上がるわけでもないし、人事査定でアピールしても「ふーん、珍しいことしてるね」と言われて終わるのが関の山だろう。

 

しかし、行政課題の最前線にいる公務員だからこそ出せる価値というのは必ずあると思う。

 

なぜなら、自分が直面している行政課題は、自分の後任や、諸外国の行政官にとっても課題であり続けるかもしれないからだ。

 

そして、その課題にこの国で最も精通しているのは、おそらくその担当者なのだ。

 

興味を持っていただけた方には、より具体的な研究者の事例があるので、こちらの本も参考にしていただければ幸いである。

www.akashi.co.jp

*1:うっかり記事を半分消してしまったので追記して再投稿。

*2:修士課程を出たし、修論も一応ちゃんと書いたんだから、査読論文も書けるでしょ、という程度の根拠。意外となんとかなる