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官僚から社会人博士への道 vol.14 ~論文を出せ。話はそれからだ。と指導教官は言った~

この記事は官僚である筆者が自主休職して社会人博士を目指す様子をお届けする雑記帳である。

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先日、イギリスの博士課程では最初の論文を書き上げたので、あるジャーナルに投稿した。今回の論文はいわゆるシステマチックレビューというもので、お題と論文検索システムへのアクセスさえあれば書けるものだ。(といっても執筆には半年以上かかったが…)

 

そんな論文を8月中頃に投稿し、当分は返ってこないだろうとのほほんとしていたら、なんと9月28日にさっそく査読結果が返ってきて驚いた。

 

査読論文を投稿したのは今回で3本目だが、今回が一番格(インパクトファクター)が高くてそこそこ有名なジャーナルだった。なので、正直もっと時間がかかるのかと油断していた。

 

しかも、4人も査読者が付いていて再度驚いた。4人のうち2人は好意的、残る2人は否定的な受け止めで、結構骨のあるコメントをしてくれていて、判定はメジャーリビジョン(大幅な修正求む)だった。

 

僕も先生も、まずはダメ元で、と考えていた雑誌だったので、先生からは

「ラッキーだね。しっかり修正がんばりな!」

との励ましをいただいた。

 

 

話はかわるが、論文のお話をもう1つ。

 

さかのぼること、今年の1月。

 

年末年始でヒマをもてあましていた当時、かつての役所の仲間に声をかけて、こちらは日本の学会誌に論文を投稿した。内容は国際的な政策動向と日本への影響を論じたものだったので、情報の鮮度もそれなりに重視していた。

 

しかし、期待とは裏腹に、投稿してから1回目の査読が返ってくるまでに5か月以上もかかったのにまずガッカリした。

 

これは編集部が査読者を見つけるのに3か月ほどかかったのが要因だった。確かに、英語とは違って日本語の論文は日本人しか査読ができないし、同じ専門分野をカバーしている人となればなおさら分母は少なくなってくる。

 

更に悪いのは、今回の査読者の1人がやけに辛辣だったことだった。その方は

「●●について論じると書いているのに、全く論じられていない。」

という理由で原稿をリジェクト(不受理)してきたのだが、こちらの提出した原稿には●●なんて一言も書いていなかった。何か別の原稿と混同しているのではないかとも思った。

 

他にも、

「100~200行目までが意味不明」

といった直しづらいふわっとした批判コメントが続く(100~200行目って広すぎだろ)。

 

あまりに生産性の低いやりとりだったので、よっぽど投稿先を変更してやろうかとも思った。ただ、僕らの論文は知り合いが組んだ学会誌特集号の1記事になる予定だったこともあり、思いとどまった。

 

すったもんだで結果的にリジェクトにはならなかったが、学会誌への掲載は来年3月となってしまった。論文のテーマであった国際動向は昨年12月の出来事だったので、公表される頃にはすでに1年以上が経過しており、情報の価値は相当に落ちてしまった。

 

 

これらの経験を踏まえ、個人的には国内誌に論文を投稿するのはよほどのことがない限りはもうやめようと思った。

 

そもそも僕が今回国内誌に出したのは、国際会議で決まった重要な事柄やその影響を国内の政策決定者にかみ砕いて伝えたい、という思いがあってのことだった。

 

日本人に読んでもらいたいから日本語で出した方がいい、という思いがあったので、今もその判断自体は後悔はしていない。

 

ただ、国内誌はそもそも読者人口がマックスでも1億人そこらしかいないので国際誌に比べて圧倒的に読者が少ないという欠点がある。また、今回のように、査読ができる人材プールが乏しいのであれば、査読を通じて研究の質を高めるという恩恵もあまり期待できない。

 

目に見える実績が求められる研究職の方であれば、(国内誌であろうが査読は査読!)という割り切りもできるだろうが、僕のように研究で食っていく予定がない人間にはそういう実績もあまり関係がない。

 

 

それと、公表のしかたも慎重に考えるべきだという学びを得た。

 

今回のようにスピード感を重視するのであれば、例えば、論文ではなくウェブ記事にすることだってできた。相談すれば役所のウェブサイトに載せてもらうこともできただろう(内容の自由度は下がるかもしれないが)。

 

また、査読論文にするにしても、出版前にプレプリントサーバーに載せるという手もあっただろう。日本にもJxivというのが少しずつ普及しているらしい。SEO的にどうなんだろう、という心配もないではないが、少なくとも公表はできるはずだ。

 

 

以上、今回初めて国内誌に出してみて学ぶところも多かったので備忘も兼ねて書き残しておいた。