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【深掘り】公務員として働く僕が海外でPhDを取ることにした理由

筆者は国家公務員、いわゆる官僚として働いてきたが、ふと思い立って休職し、イギリスで博士号(PhD)を取ることにした。

 

休職中はお給料はもちろん出ないし、慣れ親しんだ生活を捨てることにもなる。「なんでわざわざ?どんな得があるの??」と言う人も周りには多かった。

 

今回は公務員として働いていた筆者が海外でPhDを取ることにした理由を深掘りする。

 

1.PhDを取ることにした理由

今回のテーマは「PhD」×「海外」というふたつの要素があるので、分けて理由を説明したい。

 

まずは「PhD」でなければいけなかった理由から。

 

1つは、筆者が元々修士号をとってから社会人になったのが大きく関係している。

 

修士課程は授業+修論という感じで、プロセス自体は海外でも日本とさほど変わらない。過去に取った修士号との違いを作るには、自分が学んだことのない専門分野に進む必要があった。

 

一方で、博士号を取るためにはより高度な研究能力と成果が求められるため、修士課程とは異なるスキルが必要になる。特に大きな違いは、誰かから教わるのではなく、自分の力で課題を見出して答えを探すというスタンスの差である。

 

どちらも新しい学びがあるのは間違いないが、自分にとっては未知の博士号に3年かけて挑戦した方が成長できる。そう判断したのが第一の理由である。

 

もう1つの理由は、卒業後のキャリア形成において博士号があった方が有利だと考えたためである。

 

筆者は将来、国際機関か海外の企業で働くことも視野に入れている。海外では就職において日本よりもPhDが高く評価される。また、国際機関ではフィールド経験が重視される。自分のように、テーマによっては研究活動を通じて途上国でのフィールド経験を積むことができるのも博士課程の強みだ。

 

2.海外で取ることにした理由

お次は「海外」でなければいけなかった理由に触れたい。

 

当然ながら、博士号は日本の大学でも取得できる。母国語で博士論文が書けるし、学費も安いので、今流行りのコスパで言えば日本で博士号を取った方が圧倒的にお得ではあるだろう。

 

しかし、あえて海外でのPhDに挑戦した理由の1つは、英語力を付けたかったためだ。

 

筆者は、将来のキャリアの選択肢を広げるためには、英語力が不可欠だと考えている(注:すべての日本人にとってという意味ではなく、あくまで筆者のキャリアパスにとって)。

 

国家公務員という職種に限っても、純粋に日本語だけを使って日本のことだけを考えていれば済むような仕事はこの先どんどん減っていくだろうと考えている。仕事の対象となるのが国というかたまりである以上、比較対象や同業他社は常によその国なわけだ。

 

また、既に述べたように筆者は国際機関や海外企業も未来のキャリアの可能性として考えている。その際、当然ながら英語力は欠かせないし、博士課程を英語で修了したという経歴は一定の語学スキルの証明にもなる。

 

「海外」でPhDをやることにしたもう1つの理由は、アホみたいではあるが、海外で暮らしてみたいな~という漠然とした憧れである。後付けで正当化するなら、異なる文化や思想の中に身を置くという経験をしたかったとも言えるだろう。

 

日本の中で暮らしていると、ほとんどの人は日本生まれ日本育ちで、似たような文化的背景を共有している。そのため、自分たちが異文化圏の人たちから見たらどう映るのかを想像するのは簡単ではない。均質な文化があるいは外国人にとって悪しき慣習を生んでいるかもしれない。それを判断できるようになるためにも、比較対象となるような他国の文化にどっぷり浸ってみたかったのだ。

 

3.おわりに

以上が僕が海外でPhDを取ることにした理由である。

 

ちなみに僕はこうした動機や損得勘定がすべての人に当てはまるとはさらさら思ってはいない。また、博士課程は研究漬けの日々であるため、いかに損得計算上はプラスであっても向かない人にはまったく向かないとも思う。

 

しかし、僕と似たようなキャリア形成を目指している人にとって、ここでの動機の深掘りが少しでもお役に立てば、そして新しいチャレンジへの後押しになれば幸いである。