この記事は官僚である筆者が自主休職して社会人博士を目指す様子をお届けする雑記帳である。
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中間審査が終わり、査読論文の投稿も終わった8月頭。色々と博士1年目の山場的な出来事が一段落したことで揺り戻しがきたせいか、完全に中だるみモードに突入してしまった。
研究が何も手に付かず、パソコンを開くのも億劫になり、動画とマンガを際限なく消費し続ける毎日が1か月弱ほど続いた。小学校の夏休みの頃の自分に完全にシンクロしてしまっていた。
読者諸賢は「どうせ研究なんて締切もないんだしサボっても問題ないじゃん」と思われるかもしれない。
確かに締切はないし、指導教官に急かされるなんてこともない。というか教官殿もバカンスに行ってしまわれた。
しかし、休職して博士号を取ろうとしている身からすると、1日サボれば1日卒業が遠のく。ひいては3年間という復職の期限までに博士号を取りっぱぐれるかもしれないという不安に襲われる。のんびりしていても常にそのことが頭をよぎり、休息のクオリティが非常に低い。
その意味では、博士課程の学生は自営業と少し共通する部分があるかもしれない。休んだ瞬間、そのしわ寄せは自分に返ってくるのだ。
そんな絶賛中だるみの中でこちらの動画に出会った↓
この方の結論だけご紹介すると、やる気がどうしても出ないときは
- 今のやる気でもできる作業を見つけて、それを自分にやらせる習慣を確立しよう
- やる気がないときに出せる最低値を少しでも上げよう
だった。
1点目が良いなと思ったのは、自分のやる気自体を高めるのではなく、低いままのやる気でもできる事を探そうというアプローチだったことだ。
これは今のもやし状態の自分にもできた。しかも、やる気というのは基本的に何か手を動かせば自然に出てくるものだ。
2点目は気構えの問題だが、これも博士課程の捉え方として大事だなと思った。博士課程はたいてい最低でも3年間あるが、自分はまだ1年目も終わっていない。しかし、既に「長えな、オイ…」と思い始めている。
やる気の波は上下するという前提に立って、長期的な積み上げで勝負するのが大事だということが初めて自分事として納得できた。
それにしても、研究ってものはどうしてこうも手続きが多いのか。研究計画ができたのが5月だが、中間審査や倫理審査、調査国政府からの許可を経てデータ集めに入れるのは早くても11月だ。
昔のマッドサイエンティスト達が残した負の歴史によって、サイエンスはより安全で人のためになるものに変容してきたが、その引き換えとして科学発展のスピードを奪ったというのもまた1つの事実なのだろう。