おーい、えび。

えびのたわごと

「なんで勉強しないといけないの?」と聞かれた時のための思考実験

「せんせー、なんで勉強ってしないといけないんですか~?」

というセリフは誰もが一度は聞いたことがあるのではないか。

 

筆者の通っていた中学校は学級崩壊がひどかったので、ヤンキーがこういう質問をして授業を妨害することはよくあった。当時は「そういうの面倒くさいからトイレで煙草でも吸っててくれ」と思っていた。しかし今思うと、中学生までは教育を受けることを義務にしている以上、その義務を負う理由を求めるのは当然といえば当然の権利である。

 

そこで、仮に中学校の授業中にこの質問が投げかけられた場合にどう答えるべきかを考えてみた。

 

今まで聞いたことがある答え

聞いたことがある気がするのは、

「立派な大人になるため」

とか

「義務教育だから」

といった答えではないか。しかしこれらは何の説明にもなっていない。立派な大人の定義は曖昧だし、なりたい大人像は人それぞれだ。後者はなぜ義務なのかを説明していないので何も答えていないに等しい。

 

更に生々しい答え方として考えられるのは、

「よく勉強して良い高校、大学を出ることが良い会社に入るのに役立つし、それがお金持ちになるための近道だから」

という感じだろうか。だが、これは会社に入るつもりがなかったりお金持ちにならなくてもいいと思っている中学生には刺さらない。また、良い会社が高収入とも限らない。何より、学歴主義を子どもに刷り込むようで気分が悪い。

 

変化球の回答としては、

「みんなが賢くなって世の中の役に立つことが将来日本を支えていくことになるんだよ」

的なのもあるかもしれない。確かに日本のように資源の限られる国では国民一人ひとり(人的資本)の生産性が経済発展において重要ではある。しかし、これは義務を強いる国の側が受けるメリットを言っているだけであって、中学生がそれを自分事としてとらえるのは難しいだろう。

 

自分なりの回答

こうしてみると、すべての中学生に対して納得感のある説明をするのは簡単ではないことが分かる。だが、現時点で筆者がこれだと思う答えは

 

「将来、何をやるにしても困らない最低限の知識を持っておくため。」

というものだ。

 

順を追って説明しよう。

そもそも中学校には色んな生徒が来る。プロ野球選手になりたい人、ユーチューバーになりたい人、学者になりたい人、まだ決まっていない人、さっさと働きたい人。どういう将来を選ぶかによってそれに必要な最低限の知識も違う。

 

中学時代に将来が決まっている人は稀だし、仮に決まっていたとしても何らかの出来事によって将来その決定が捻じ曲げられてしまうかもしれない。(例:スポーツ選手であれば怪我や病気、挫折など。)

 

そこで、中学までの義務教育では将来どんな選択肢を選ぶにしても最低限は困らないような知識を与えておくことにしているのだ。たとえそれが多くの人にとって不要で退屈なものであっても。

 

 

こういうと「せんせー、僕はニートになると決めているので勉強はしませーん」という人が出てくるかもしれない。

 

確かに、教育を受けるチャンスを放棄する自由はだれしも持っているので、したくなければしなくて構わない。ただし、自由には責任が伴うことも理解していなくてはならない。

 

ニートも死ぬまでは生活費がかかる。その間には税金も払うし、病気になれば医療費も払う。こうした社会の実態は、保護者の扶養によって生きている多くの中学生にとっては想像が及びにくい領域だ。だからこそ、責任ある判断ができるとみなされていない中学生までは多少理不尽であっても教育が義務になっているのだ。

 

 

 

以上が筆者が提示する答えとその理由だが、実際の現場では必ずしも中学生には刺さらないかもしれない。反抗期の子どもに「君はまだ責任ある判断ができるほど大人じゃない」と面と向かって指摘すれば反発を招くだろう。

 

こういう答えが心に刺さったよというのがあれば是非コメント欄で教えてほしい。