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えびのたわごと

もしも日本が英語ペラペラの国だったら違ったであろう4つのこと

皆さんは日本人の英語力が世界の中でどの程度の水準かご存じだろうか。

 

統計的な信憑性は定かではないが、EF EPIという英語力の指標があるそうで、これによれば非英語圏の112か国のうちで日本は78位だそうだ。ちなみに1位はオランダである。

www.efjapan.co.jp

 

また、TOEFLという英語力の試験では日本人の平均スコアはアジア諸国のうち下から2番目に位置している(文科省*1

 

他国との比較をするつもりはないが、このグローバル化したご時世に国際公用語たる英語を苦手としていることは様々な分野で非常に大きなハンデを背負っていることを意味する。

 

そこで今日は日本人が英語力のために損をしている分野を具体的に掘り下げてみたい。

 

もしも日本が英語ペラペラの国だったら劇的に違ったであろう4つのこと

 

 

1.国際的なルール作りへの影響力

国際的なルールというのは様々あるが、最も一般的なのは国同士の法律、すなわち条約である。この条約を作る作業はあまり世間には知られていないが、各国の交渉官が何度も何度も会議で交渉を重ねることで最終的に合意に至るものである。

 

誰が交渉官を務めるかはその国によってもまちまちだが、最も多いのは各国の官僚、つまり外務省や○○省といった役所の人間である。

 

さて、問題はこの役所の人間にどれだけの英語力があるかが交渉力に直結するということだ。筆者も何度か会議に参加したことがあるが、はっきり言って日本の交渉官たちと各国の交渉官の英語力にはかなりの差があった。

 

外交が本職の外務省関係者はもちろん申し分ない英語力を備えている人がほとんどだが、それ以外の省庁から来ている交渉官は、せいぜい1,2年留学していた程度、下手をすれば私のように留学すらしたことのない者が必死になって対応している。

 

だが、条約の交渉をするということは、相手の懸念を理解しつつ折衷案としてどのような文言を条文に書き込むことができるかという極めて高度な英語力が求められる作業であるため、残念ながら海外で数年過ごしただけでは十分とは言えない。

 

事実、現場で活躍する交渉官は非英語圏出身であっても例外なく帰国子女かそれに準ずるレベルの英語力を持っているように見受けられる。地政学的にも知見の面でも日本は様々な分野で活躍するポテンシャルを持っているだけに、いつも非常に悔しい思いをすることであった。

2.研究者による業績の発信、大学ランキング

今年もノーベル賞の発表が近づいてきた。

 

ところで、研究者たちは基本的に優れた発見は英語の雑誌に投稿する。なぜかと言うと、論文の良し悪しは他の研究者にどれだけ引用してもらえるかが1つの重要な指標となる。ノーベル賞を取るような研究もこの引用回数が非常に高いものが多い。

 

そして、論文は同じ内容で複数の雑誌に投稿できない決まりがあるため、日本人しか読めない日本語の雑誌よりも世界中の研究者が読める英語の雑誌に投稿した方がお得だからである。

 

しかし、日本の大学教育では有名大学の修士や博士論文レベルで、それ自体は貴重なデータであるにも関わらず英語になっていないものが多いし、内容的に優れた論文であっても日本語でしか書かれていないものが数多く存在する。

 

こうした状況は世界の大学ランキングにも影を落としている。大学ランキングとは研究能力や国際性などで世界中の大学を採点したものだが、日本では東大ですら世界42位といった具合だ。

その原因として挙げられているのがまさに上で述べたような言語による障壁なのである。

東大の「世界大学ランキング」が低迷する致命的な理由。 | 大学受験ハッカー

3.諸外国との情報交流の活発化

英語は世界で最も使われている言語である。そのメリットは何と言っても英語を介して意思疎通できる人の多さであろう。

 

例えば、僕が大好きな日本のマンガはほとんどが日本語でしか刊行されていない。そのため、日本語が読める人(1.2億人程度)しかこれを楽しむことができない。しかし、仮にこれがすべて英語であったなら14億人が読むことができる。市場規模もまったく違うものになるだろう。

 

逆に海外のコンテンツもその多くは日本語には翻訳されていない。日本語のマンガと同様、とても面白いにも関わらず言語の壁があるばっかりに日本人が楽しめていないものがごまんとあるはずだ。

 

こうしたことは娯楽分野だけに限った話ではない。例えば、世界には日々新しい優れた技術や制度、ノウハウが開発され、その多くはインターネットを通じて発信されている。技術であれば製品紹介のHPやプレスリリース、制度であれば各国政府や国際機関による優良事例集といったところだろうか。

 

日本の企業や行政の担当者、ひいては個々人がこれらの情報を何の心理的障壁を感じず、苦もなく読み解くことができるならば、我々の日常はインターネットからより多くの情報を恩恵として得られていたのではないだろうか。

 

4.英語力習得に費やす時間とお金の節約

日本の英語教育は、かつては中学校から、昨今は小学校中学年からスタートする。多くの人は大学受験を迎える高校3年生の頃に英語力のピークが来たのではないだろうか。しかし、テストでは「読む・書く・聞く」の3つの能力に集中しているため、話す力はまったく言っていいほど練習しない。そこで、社会人になって英語を話す必要性に迫られた人は英会話学校やオンライン英会話に頼るという具合だろう。

 

我々はこれら英語の学習にどれほどの時間とお金を費やしてきたのだろうか

 

ある記事によれば、日本人は学校教育で1200時間程度を英語に費やすが、さらに1000時間をかけなければ英語を習得できないらしい。1日1時間勉強したとして1000日、約3年間これを続けなければいけない計算だ。

 

また、日本の語学ビジネス市場は(英語以外の語学も混じっているだろうが)7,800億円ほどだという。単純に日本の人口で割ると一人当たり毎年7,000円ほど払っているということになる。

 

英語圏の国では、これほどの時間とコストを別の活動に振り向けられるのだ。

例えば、1.で述べた国際交渉であれば、英語圏の交渉官が条約の背景や専門知識の勉強する間、日本の交渉官は発言メモを英訳したり、英語のレッスンに通ったりしなければならない。2.の研究分野であれば1日1時間英語の勉強をしている間に論文が2、3本は読めるだろう。こうした積み重ねが大きな差を生んでしまうのだ。

 

終わりに

以上、英語という言語の壁によって生じている不利益を4つ挙げた。ここには根拠がなかったために挙げなかったが、ビジネスの分野等でも英語力を原因とする直接的・間接的な壁はあるのではないかと思う。

 

しかし、最後に強調しておきたいのは、英語が苦手であるということは不利益だけではなく、例えば日本文化を守るなどのプラスの作用ももたらしてきたのではないかということだ。世の中、悪い点があるなら良い点も必ず存在する。機会があれば次は英語が苦手だからこそのプラスの側面も掘り下げてみたい。