ド定番だろうが古典だろうが真に面白かった本だけを紹介していくシリーズ。
あらすじ
肺を病んだ“私”は、果物屋の檸檬を手にすると妙に落ち着いた。好きな丸善の本屋へ行ってみようという気にもなった。いざ行ってみるとまた不吉な魂が頭をもたげくる。ふと“私”は思いつく。檸檬を画集の上においてみる。まるで爆弾のようではないか。簡潔な文章で描かれた鮮やかな檸檬は年月が経ても色褪せることはない。(Amazon Kindle版より)
僕が本を評価する軸の1つが、読み返したくなるかどうか、だ。その意味で本作は幾度となく読んでいてしかも飽きることがない。
この本の何が僕を惹きつけるのかははっきりしている。それは、主人公の憂鬱がまるで自分のことのように理解できるからだ。
僕も大学生活を京都で過ごしたのだが、その間ずっと心のどこかで鬱屈というかやるせなさというか、現状に満足できない苛立ちのようなものを抱えていた気がする。客観的に見れば何不自由ない日常を送っているにも関わらず、ふとした瞬間に理由のない不安と怒りとが心を満たしてしまうのだった。
『檸檬』の主人公もそんな”症状”を抱える一人である。
彼が心惹かれるのはただ美しいだけのものではなく、見すぼらしくて美しいものだ。それは自分自身と無意識に対比したときに美しいものは同時に自分を責めているような圧を感じてしまうからではないかと思う。見すぼらしさの中に美しさがあるということは見すぼらしい自分自身にとっての救いになっているのではないか。
僕がこの作品を好きなもう1つのポイントは情景描写の素晴らしさである。
短い文章で「見すぼらしい美しさ」を切り取るセンスが研ぎ澄まされている。みずみずしくて、陰影が鮮やかで、それこそ檸檬の香りのように情景がパッと広がるようだ。
それだけで読んでいる僕は救われる気持ちになるが、結末のセンスはさらにすごい。
爆弾テロで鬱屈した心を一時的にでも晴らす主人公。そのテロに使われたのが「見すぼらしい美しさ」の結晶ともいえる檸檬なのだ。
周囲の色調が失われ、モノクロな風景の中には唯一色彩を残した檸檬があるだけ。緊張に満ちた一瞬の静けさがあり、次の瞬間には爽やかな芳香とともに丸善が吹き飛ばされる、というのはもちろん主人公の妄想でしかない。
逆に言えば、それしきのことで吹き飛ぶ程度の曖昧な憂鬱だということだ。しかし、その程度の憂鬱が僕の心を常に覆っていた時期というのは確実にあった。だからこそ、この作品には僕にとってものすごくリアリティがある。そして、救いがある。それが何度も本作を読み返したい理由になっているのだろう。