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官僚から社会人博士への道 vol.3 ~大学、スーパーバイザーを探す~

この記事は官僚である筆者が自主休職して社会人博士を目指す様子をお届けする雑記帳である。

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最大の難関であった研究テーマがある程度固まると、次はいよいよ留学する大学とスーパーバイザー(指導教官)を探す段階に進むことになった。今回はその作業についてご紹介する。

 

 

僕の場合、内定した大学の先生に初めて声をかけたのは2021年の11月だった。

実際の留学は2022年9月からなので、約10か月前の出来事ということになる。

実際のところ、これはもう少し遅くても何とかなったかもしれないので、時系列としては

  • 留学1年前~10か月前 ⇒ 研究テーマの検討
  • 留学10か月前~6か月前 ⇒ 大学探し

というくらいのスピード感であれば問題なさそうに思う。

 

 

 

ステップ1:興味のある論文から指導教官の候補を絞る

志望校を絞り込んでいくために使ったのは、既往論文を読み漁って作った「興味のある論文リスト」である(詳細はvol.2参照↓)。

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分野にもよるが、博士課程ともなると専門性が高くなり、それと反比例して研究者の数は絞られてくる。そのため、大学受験の時のように大学の偏差値ランキング上位から学力にあった大学を探すというアプローチは博士課程になるとまったく機能しなかった。(MITやオックスフォードなどがあなたの志す分野のトップとは限らないというわけだ。)

 

そこで、留学先の選定に当たっては、まず既往研究を多読していく中でよく名前を目にした大学や研究者をまずはリストアップすることからスタートした。

 

このスクリーニングによって、僕の場合はスイスとイギリスの5校ほどの大学の先生が候補に挙がった。

 

 

 

ステップ2:候補者の優先順位を決める

スーパーバイザーの候補者がリストアップできたら、次にやることはどの人から連絡を取るか優先順位を決めることだ。

 

僕はこの段階で初めて、いわゆる大学ランキングでそれぞれの大学の立ち位置を調べることにした。やらしい話ではあるが、やはり博士号を取る以上は少しでも箔をつけたいし、実益の観点からもより上位にある大学の方が優秀な同級生や卒業生とのネットワークができ、後々の財産になる可能性が高まる。

 

僕の場合はスイスの大学が世界ランクのトップ10常連だったことと、ロンドンの大学が自分の専攻分野では世界2位だったことから、ネームバリューのあるこれら2校を候補としてスーパーバイザーを探すことにした。

 

指導教官の優先順位を決める際のアドバイスとしては、自分の研究分野で脂が乗り切っている大御所を狙うのか、それとも10年後に大御所になっていそうな若手有望株を狙うかという視点もある。

 

大御所につくメリットとしては、物凄いプロジェクトに参加させてもらえるかもしれないし、その人の下で学んだということだけで多少の箔が付くかもしれない。デメリットとしては、先生がご高齢であると自分が研究者として羽ばたく時期にその人は引退しているかもしれないことや、たくさんの学生を持っているなど多忙で、指導に力を注いでもらいにくいかもしれないことがある。

 

若手有望株につくメリットは、その人が大御所になる時代が来たときに自分も卒業して研究者や実務者として自立しているため、一緒に共同研究や仕事をお願いしたりするなど、協働する道があるということ。デメリットとしては、若い分、指導教官としての経験が乏しかったり、コネがまだ少なかったりすることが挙げられる。

 

ちなみに、この段階では英語力の要件は満たしているかどうかは一旦無視して、本当に行きたい大学や学びたい先生を見つけることに注力するのが良いと思う。博士課程だとIELTSが7.0とかTOEFLが100、あるいはそれ以上のところが多く、どっちみち英語は勉強しまくらなければならないのである。この時点で英語を言い訳にするのはもったいないし、英語の条件を下げるとかなり選択肢は狭くなってしまう。

 

 

 

ステップ3:ひたすら頼み込む

候補者の優先順位も決まったら、あとはひたすらCVと研究計画案を送りつけては「一度話をさせてください!」と頼み込むばかりである。

 

この作業は我々純ジャパにとっては正直語学的にも精神的にも一番ハードルが高い作業である。僕もはじめの方は研究計画のツメが甘いことを指摘されて何度も心が折れそうになった。

 

だが、話を聞いてくれた先生たちはいずれも研究をよりよくしようという善意で指摘してくれていることがよく伝わってきたし、その先生とはマッチしなくても別の方を紹介してくれる方が多かった。恥とか不安といった感情は一旦脳みそから排除して、トライ&エラー&改善の繰り返しで研究計画を磨きながらぶつかっていくのみであった。

 

そんなある日、通算6、7人目のお願いにしてついに僕の研究を面倒見てもいいと言ってくれる先生が現れた。その先生はスタンリー・トゥッチに似ていたのであった。

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