おーい、えび。

えびのたわごと

ケニア・ナイロビのごみ処分場が衝撃的だった話

ケニアの首都ナイロビにあるごみ処分場に行ってきた。

 

ナイロビは東京23区より少し大きいくらいの面積があり、そこにおよそ500万人(23区に住む全人口のちょうど半分ほど)が暮らしている。しかし、人口が多いということはそれだけごみも多い。

 

そんなナイロビにはダンドーラというごみ処分場が1つだけある。ダンドーラは既に受け入れられるごみのキャパを超えている。しかし、後で述べるある理由から、ごみを捨てられる場所が他に作れないため、未だに毎日町中のごみが運ばれてくる。

 

このごみ処分場には、ごみの中からお金になりそうなものを漁る人々が日々通ってくるほか、生ごみを漁るハゲコウという野鳥、犬やブタ、ウシ、ヤギといった家畜たちが放し飼いにされている。

 

 

僕が処分場に近づいて最初に感じたのは臭いだった。

 

周りにごみを載せたダンプカーが増えていき、同時に酸っぱいような異臭が立ち込めてきた。当時のナイロビは乾季であり、少なくとも10日以上は雨が降っていない。

 

入口に近い場所では水分を含んだ新鮮な(?)ごみが多いせいで臭いが強烈だが、ひとたび処分場のごみ山を分け入り始めると臭いは少しずつマシになっていった。ハエなどの害虫もさほど多くなかった。

 

しかし、3月以降の雨季に入ると臭いも害虫も、それを食べるネズミなどの害獣も大幅に増えるのだという。当然、それらの生き物が病気を運ぶことになるし、処分場から滲み出る汚染された水が周囲の川に大量に流れ込むことになる。

 

現地のウェイストピッカーさんに案内していただいて処分場内を1時間ほど歩いた。

 

驚くべきことに現地の方はサンダルに素足であった。

 

足元は何十年にも亘って積もったごみであり、ビンの破片や金属片、場所によっては本来運び込まれていないはずの注射器(医療廃棄物)まで落ちていた。こうしたもので足を切ったりすれば破傷風などの感染症の危険が極めて高い。

 

長靴に長ズボンで歩いていた自分でさえ、ごみが深い場所では30センチほど足が埋まるほどである。しかし、そんなことよりも僕が怖かったのは、このごみ山の奥地で強盗にでも襲われたら、確実に助けは来ないし、殺されて埋められても絶対見つけられないだろうなということだった。

 

 

どこを見渡してもごみと無数の動物ばかりだったが、現地の方は非常に慣れた足取りで、小山のような地形を上ったり下りたりしていく。聞けば御年は33歳。ダンドーラ処分場には13歳の頃から出入りしているという。

 

売れるものとしては金属やペットボトル、古紙などで、ごみ山の中にもそれらを分類する区画が一応定められているらしかった。

 

曰く、ダンドーラには3,000人ほどの人が働いており、一日に得られる収入は数百円。すぐ近くのスラムから通っているのだという。

 

数百円という収入は決して安くない。スラムでは一日100~200円の収入で生活している人が多いことを考えると、ごみ集めは比較的稼ぎが良い。ダンドーラ処分場は郊外にあるため、ここに隣接するスラムではごみ拾い以外の主な稼ぎ口がほとんどない。

 

実は、日本政府がナイロビに新しい処分場を建設する計画を立てていたが、地元のスラムの住民が大反対した。ダンドーラにごみが運び込まれなくなると稼ぎがなくなってしまうからだ。作業員や住民が相当過激な反対運動を起こしたため、計画は頓挫してしまったらしい。

 

 

ブタや牛などの動物は近所から連れ込まれたもので、飼料代を買う余裕のない人たちがここで残飯を与えているのだという。合法ではないが、それを取り締まる警察が来ることは稀だということだった。

 

ごみを食べている家畜の体内には恐らく重金属などの有害物質が蓄積されていると思われる。そのような家畜の肉はスラム街にある肉屋さんに売られていくのだそうだ。

 

処分場の中にはキリスト教の教会もあった。

 

この処分場に持ち込まれるのは市で発生したごみの半分ほどで、残りの半分は市内に不法に投棄されているらしい。

 

確かに、僕が訪れたナイロビ市内のスラムでは必ずといっていいほど川にごみが大量に浮いていて水面が見えないほどだった。道端にも同じようなごみ山が随所にあった。

 

こうした不法投棄は当局の取り締まりが厳しいということで、スラムの住民は夜中にこっそりと捨てていく。ダンドーラ処分場に隣接しているスラムからも川を渡ってごみを捨てにくる人が多いとのこと。

 

案内してくださった現地のウェイストピッカーさんに珍しいごみを見たことがあるか尋ねてみると、時々爆弾は見つかるらしい。また、非常に稀だが人の死体も見つかるということだった。

 

 

日本のごみ処分場ではごみの処分地は明確に区分があり、発生するメタンなどのガスを抑制する構造だったり、ごみから滲み出した汚水を処理する設備だったりがある。

 

しかし、ここでは幅5メートルほど川が処分場とすぐ隣のスラムを隔てているのみであった。メタンガスがあらゆる場所からポコポコと湧き出し、火がくすぶり、滲み出た汚い水は当然のごとく川に直接流れ込んでいた。

 

状況を改善をするには新たに処分場を造るしかないが、お金もなければ制度的な改善を進める能力もない。政治的なイニシアティブもないし、ごみに依存して生計を立てている人たちへの就業支援もない。

 

問題が多すぎてもはや訳が分からない状態だが、それでもナイロビ市の人々は意識的・無意識的に関わらずこの処分場に依存して生活している。大きなカルチャーショックを受けながら処分場を後にした。

 

(参考文献)JICA ケニア共和国ナイロビ市廃棄物管理能力向上プロジェクト
詳細計画策定調査報告書

https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/12079695.pdf

 

※なお、筆者は研究活動の一環として現地の信頼できる国連機関の方とウェイストピッカーの案内も受けて見学を行った。同地域は治安に懸念があり、観光目的での訪問や単独での行動は絶対に控えるべきである。