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えびのたわごと

【読書感想文】恋バナは読めないけど「三四郎」は読める

夏目漱石の「三四郎」を大学生の時以来ぶりに読んだ。

 

久しぶりすぎて忘れていたが、三四郎はジャンルでいうと恋愛モノだったのを思い出した。筆者は恋愛系の小説やドラマは蕁麻疹がでるくらい苦手なので近頃はめっきり遠ざけていたのだが、不思議と拒否反応はなかった。むしろ1日で一気に読んでしまった。

 

 

三四郎の何が好きかと聞かれれば、この明治の人間関係や空気感が好きだと答える。

 

三四郎の登場人物たちは出会ったばかりの他人同士でも妙に距離感が近いし、ずけずけと物を言う。

 

三四郎は電車でいきあった女性から去り際にきつい台詞を頂戴するし、広田先生に傾倒する与次郎は本人の知らぬところで勝手に推薦運動を展開する。現代の淡泊な関係性とはかなりの違いである。

 

そんな距離感の世界線であるにも関わらず、三四郎と美禰子の関係だけはいつまでも曖昧で微妙なままだ。

 

一番核心に近づいたアトリエからの帰り道のシーンですら近づいた分だけ遠ざかるという絶妙なバランスが保たれる。もどかしいけれど、僕にはこれくらいがちょうどいい。

 

実際に明治がこういう雰囲気だったのか、あるいは漱石の作風がそうなのかは分からないが、この絶妙な距離感に支えられている世界は良いなと思う。現代はあらゆる物事がはっきりしすぎてしまって、白と黒の境界線を生きるのは難しい世の中になっている。

 

 

三四郎を読んでいるうちに村上春樹の「風の歌を聴け」が頭に浮かんだので、どこに類似性があるのか考えてみた。

 

結論、村上春樹夏目漱石も個人的には話自体がものすごく面白いかと言われればそんなことはないが、語りの小気味良さというか、1文1文のおかしみを楽しんでいたらいつの間にか読み終わった、というタイプの作家である点が共通しているのかなと思った。