おーい、えび。

えびのたわごと

霞ヶ関のブラックな働き方について、中の人が考察してみた

僕の働く霞ヶ関は現代の不夜城とされ、日本の労働政策の総元締めたる厚労省強制労働省とあだ名されて久しい。

 

そんな長時間残業の権化ともいえる霞ヶ関だが、最近は働き方改革でメディアにもさかんに取り上げられるようになった。河野大臣による残業代の支払い指示も記憶に新しい。

 

こうした動きは不夜城に一石を投じるものとして非常にありがたく思っており、せっかくなので時事ネタとして乗っかってみることにした。

 

 

霞ヶ関の労働実態のホントのところ

人事院という、あまり知られていない中央官庁がある。この官庁は国家公務員の採用や研修、人事などを生業としている。ここが出している公式パンフレットには各省庁の若手の一日の流れを紹介したページがあり、非常に興味深い。

https://www.jinji.go.jp/saiyo/syokai/sougougaido.pdf

これによれば、9:30登庁して、大方の人は19:00前後に退庁し、夜は家族との時間や趣味を楽しむ理想の社会人のような例が挙げられている。

 

…皆さん、こんなリア充社会人みたいな日常、ほんとに送ってるの???と思って読み直してみたら、「ある一日の」ワークスタイルという枕詞が付いているのを見つけた。つまり、これが日常的な働き方だとは言っておらず、あくまで「ある一日」なのだ。なるほど。典型的な霞ヶ関文学というやつである。

 

一方でこんな記事もある。

www3.nhk.or.jp

この記事にある田中さん(仮名)はあくまで一例なので、あまり参考にならないかもしれないが、個人的には

 「そういう人の話、よく聞くよね」

 と感じた。少なくとも若手の人たち、特に下積み的な作業をする1、2年目の職員の多くはこうした経験をしているはずだ。

 

霞ヶ関の役所は、いわゆるキャリアと呼ばれる総合職(昔は1種と言った)として採用された人たちのほか、主に経理や庶務を担当する一般職(2種)の人たち、そして自治体や企業からの出向者さんや任期付きで採用された方、派遣さんなど、様々な採用形態の人たちで形成されている。

 

取り沙汰される労働問題は主にこの1種と2種のプロパーと呼ばれる人たち、

とりわけ1種の人たちの残業のことである。

 

実際どれくらい残業しているのかというと、正確な統計は分からないが、僕の所属する部署でいうと課全体で30名ほどがおり、1種の人がその半分弱。そのうち過労死ラインとされる月残業80時間を超える人が数名で、時期によっては100時間を超える人もちらほら、という感じ。

これは役所全体の中での忙しさから言うと「中の下」くらいであり、忙しい部署はこの1.5倍、時期によっては2~3倍くらいなところもよくある。例えば、入省1年目の初日に朝3時まで働かされたとか、月残業時間が300時間超えしたとか、そういう自慢にもならない武勇伝(?)を誰しも1つや2つ持っている

誤解しないでほしいのは、こういった超激務の部署がある一方で、民間企業並みの労働時間に収まっている部署もたくさんあり、要は忙しさは時期や部署によって本当に千差万別だということ、そして全体としては民間より長時間労働をしている人が多いだろうな、ということである。

 

何が根本的な問題なのか?

こうした長時間労働を生んでいるのはなぜなのか、いくつか原因を挙げてみたい。

1.職員の数が少ない

1つめは単純な話で、仕事量に見合った職員数がいないのである。

これについては人事院が興味深いデータを公表している。

https://www.jinji.go.jp/pamfu/profeel/03_kazu.pdf

アメリカ、英国、ドイツ、フランス、日本の公務員数の比較である。いずれもG7に属する先進国だが、日本は圧倒的に最下位である。

しかも、アメリカとドイツは連邦制という統治制度をとっており、各地方の州政府に強い自治権が与えられているので、日本と比べて中央政府が抱える権限が根本的に異なるのだが、よく見るとその中央政府の職員数ですらこの2か国より少ないのである。そして、10年前と比較しても職員の数は減少傾向にある*1

 

こうした公務員の定数に関する歴史的な流れは以下の記事をはじめ、多くの解説がされている。

gendai.ismedia.jp

 

一方で、国の予算(一般会計)を10年前と比較してみると、借金の支払いである国債を除いた総額は約8兆円ほど増えている。執行するお金が増えるということはそれだけ仕事が増えるということでもある。つまり、元々外国と比べても人数は少ないのに更に人は減っていっており、なおかつ仕事量は増えているのだから、残業なんて減るわけないよねという話なのだ。

 

2.仕事を減らそうという文化が希薄

2つめとして、これは自省も込めて言うが、官僚は仕事を減らすことが絶望的に下手くそなのである。「パーキンソンの法則」の名で知られているとおり、世界各国、官僚はいつの時代も仕事する時間がある限り仕事をし続けるのだ。

 

これは結構深刻な問題で、仮に世間で言われているように国会対応や非効率な紙ベースの作業がなくなったとしても、別の仕事がその隙間を埋めるだけになるのではないかという懸念がある。

 

僕の職場でもよくあるのが、「この仕事はやらないよりはやった方が良いだろう」という相対評価によって仕事をするしないの判断がなされてしまうことだ。

本来であれば、「国民にとってどれだけの効果が見込めて、それに見合った行政コストになっているかどうか」という絶対評価(それもできれば定量的な評価)によって仕事の要・不要が判断されるべきだが、そういったコスト意識を持つ人が極端に少ない。特に、国のために働くんだという正義感の強い人、特に長年霞ヶ関で働いてきた管理職以上の人ほど残業時間やその人件費といった行政コストには盲目的であることが多いと感じる。

 

原因としては、民間企業と違ってコストに対する”目”が組織としても個人としても肥えていないことが考えられるし、定量的に成果を評価しづらい事業が多いことも確かである。偉そうなことを言っているが、僕だってその1人でないとは言い切れないのだ。

また、穿った見方をすると、残業代として支払われる予算枠はすでに決まっており、いくら仕事を減らしてもみんなに分配される残業代が少しずつ増える程度で、管理職の手柄にはならないため、インセンティブが働かないというのもあるかもしれない。

とはいえ、役所は「何かをやらない」こと、「何かをやめる」ことに対してあまりに消極的すぎ、それゆえに減らせる仕事も減らないという実態は確実にあるのだと思う。

 

3.残業の実態が不透明

3つめは直接的というよりは間接的な要因だが、長時間残業の実態が正確に把握されていないことにある。

職員は毎日出勤時刻と退勤時刻をエクセル上に記入することになっている。これによって、普通であれば残業時間の正確な統計など一瞬で作成できるはずだが、実態はそうではない。

 

なぜかと言うと、我々の超勤手当は予算という枠で上限がガチっと決まっているため、勤務時間をそのまま積み上げたのでは予算オーバーしてしまう。そこで、超勤手当の予算額に収まるよう退勤時間を少なく調整した形で最終的な計上がなされるのである。支払われない分はサビ残という扱いなのだ。

 

なぜ残業実態が把握されないと問題になるかというと、国家公務員の定数も予算も閣議決定や国会審議といった政治家が絡む外部的な仕組みによって決定されるからである。なので、中の人がいくら懐事情がしんどいと言っていても、外からそれが認知されなければ状況が変わるきっかけが生まれないということだ。

 

河野大臣が先日指示した「残業代は全部払いなさい」という通達は、こうした役所の実態に半ば諦め、実際の4割とか5割に減らされた超勤手当に慣れきっていた霞ヶ関の中の人たちからすれば大喝采ものであった(実際、僕はテレビの前で雄叫びを上げた)。

 というか、河野大臣が指示しただけで残業代が払われるようになるのであれば、今までサビ残は一体なんだったのか。。。

 

以上、僕が思う官僚の長時間労働の3つの原因、①一人当たりの仕事量が多すぎ、②仕事を減らそうという風土が希薄、③残業の実態が表沙汰になっていない を挙げた。長くなってきたので解決策の話は後編↓に記載した。

 

ooiebi.hatenablog.jp

 

※この記事は所属する組織の見解を示すものではなく、あくまで個人の見解を書き連ねたものです。また、なるべく正確な情報を記載するよう努めていますが、必ずしもすべての情報の事実関係の裏付けを取り切れていないことがあります。